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11月3日、静岡市藤右衛門町(※現在の七間町)に、初代社長・松野正次により「ミカサ写真館」は誕生しました。
当時のお値段は、名刺サイズのお写真3枚1組で1円。ガラスの板(乾版)がフィルム代わりで、白黒写真しかないこの時代は、現像もプリントもすべて写真館お仕事。その作業は、朝まで続くことも多かったそうです。 |
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こちら側を向いてミカサの出口に立っているのが、創業者の松野正次。名古屋軍事工場へ徴用で出発する…まさにその時の写真です。留守を預かったのは、女性のカメラマンでした。
その後、半年で正次は体をこわし静岡に帰ることになります。材料も配給でしか手に入らない厳しい情況下で、週に1度あるかないかの撮影日には、戦地に写真を送りたいという人たちが、お店の前に長い列を作りました。当時の写真に込められたメッセージは、今も色褪せず、私たちにも色んなことを教えてくれます。
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この頃、学生の間では「交換写真」が流行っていたそうです。今で言う「プリクラ」のようなものですね。お友達と交換しあうために50〜100枚もの焼増し注文があったとか。
ミカサでは出来上がった写真を、可愛い女の子のイラストが描かれた袋に入れてお渡ししていました。裏には学生さん向けに時間割表がついています。
60年以上前のイラストですが、今の女子高生にもきっと「かわぃぃ♪」と言ってもらえるはず。お店のマスコットとして、現在も看板などに用いられ活躍中です。 |
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空襲によって建物も機材もすべて失ってしまいましたが、この年、長野から木材を買って、駿河町(新通小学校のあたり、現在の駒形通2丁目)にて、ミカサは再出発しました。
当時もまだフィルムはガラス板です。現像して乾かしていた乾版を、ネコに割られて大変!近所のお馴染みさんだったので、どうにか許してもらえたというエピソードも。
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駿河町と駒形通の区画整理で、今の場所に移転(駒形通1丁目)。
住み込みで4人の従業員、朝8時〜夜10時までの営業で、休みは月に1回程度。七五三や成人式などの時期はさらに忙しく、夜なべするほどだったそうです。 |
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この頃の建物を改装しながら今に至っています。2階外観は今も変わらず、面影が残っている部分です。通りがかりにでもご確認下さい♪
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初代・正次はお店をいじるのが好きで、大工さんの出入りも絶えず、毎年のようにスタジオや店内が変わっていったそうです。
アンティークな雰囲気も残しつつ、時代にあったご要望にもお応えできるよう、現在でも、スタジオの模様替えや、店内のディスプレイなどは、こだわりを持って行っております。 |
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